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第6回 2003.12.1
南フランス・プロバンス地方に残る巨大水道橋 “ポン・デュ・ガール”(“Pont du Gard”)
─ 今日に残る古代ローマの遺産 ─
  南フランスのプロバンス地方に、ローマ世界最大規模の“水道橋”があります。“水道橋”はその名の通り、離れた水源から水を引く導水路付きの橋のことです。今回ご紹介するのは、およそ2000年前に建設され、現在にその姿を残すローマの水道橋がまさに“GARD(ガール)”川をまたぐ“橋”の部分である“Pont du Gard(ポン・デュ・ガール)”です。

 この水道橋は、古代ローマの植民都市であった“NIMES(ニーム)”に、20キロメートル北の“UZES(ユゼス)”近郊の水源から上水を引くために建設されたものです。ニームとユゼスの直線距離はおよそ20キロメートルですが、地形の影響を受けて水道橋は蛇行し、その全長は50キロメートルにもなります。ユゼスの標高は138メートル、ニームは39メートルですが、水道橋それ自体の高低差はわずか17メートルであり、平均勾配は1キロメートルにつき34センチメートルです。このわずかな傾斜は、水が流れていなければどちらが下流か判別が困難なほど精巧なものです。

 “ポン・デュ・ガール”は石造りのアーチ三層構造です。第一層は車も渡ることのできるもので(現在は通行禁止ですが)、道(橋)幅6メートル、長さ142メートル、ガール川の水面から22メートルです。第二層は幅4メートルで長さ242メートル、そして最上層は幅3メートルで長さが275メートルです。最上層部が水を通す道管部分であり、水面から49メートルの高さになります。
 第一層と第三層は歩くことができます。第一層はもともと車が通れたくらいで全く心配はないのですが、水が流れる水道管内部は別として導水路の上部を歩くのはかなり勇気がいります。

 さて、紀元前8世紀に誕生したローマは、紀元後2世紀にその領土を最大に広げ、東は黒海よりさらに東のカスピ海、ペルシャ湾、西はイベリア半島、北はブリテン島からドナウ川、南はアフリカ大陸に至る大帝国を築きます。そして帝国内の要所要所に植民都市を建設しました。ニームのその一つです。
 ローマが植民都市を建設する際、まず、本拠地ローマと植民先の都市を結ぶ道路をつくります。“すべての道はローマに通ず”ということわざがありますが、今日も機能しているヨーロッパの幹線道路の中には、歴史をさかのぼるとローマ時代の軍道が起源となっているものが多く、まさに全ての道はローマに通じています。

 現在の舗装道路にも通じる“ローマの道”からもわかることですが、ローマ人は優れた土木建築技術を持っていました。まずは道路、そしてその後、市民のための娯楽施設が造られます。円形競技場、円形劇場、公衆浴場などです。ニームにも円形競技場や“メゾン・カレ”と呼ばれる神殿が造られ、現在でも市街地にほぼ完全な姿で見ることができます。

 ところで、ローマ帝国は紀元後4世紀に東西に分裂し、それから1世紀を経ずして西ローマ帝国は滅亡します。ちなみに東ローマ帝国は1000年間ほど生き延びますが、15世紀にオスマントルコに破れ滅亡しました。しかし、“ポン・デュ・ガール”もそうですが、ローマ時代の巨大プロジェクトの数々はかつての帝国領のあちらこちらに今日もその跡を残し、我々に感動を与えてくれます。
(掲載写真“Le Pont du Gard”Editions Aioより)
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