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第4回 2003.10.1
“ヘラクレスの柱”の片割れ“ジブラルタル”(“Gibraltar”)
─ アフリカに対峙するヨーロッパ南端の岬 ─ |
地中海の西のはずれには英雄ヘラクレスの手になる“2本の柱(ヘラクレスの柱)”が立っており、そこはこの世の果て、その先には陸地も海も“何も無く(non
plus ultra)”、西進し続けると深淵に落ち込む。それが古代地中海世界の人々の宇宙観だったようです。大航海時代に入り、“果て”の向こうに大洋が広がり新大陸のあることが発見され、“先が有る(plus
ultra)”ことが証明されます。
“2本の柱”とは、ジブラルタル海峡を挟んで南北にそびえる2つの山、ヨーロッパ側のジブラルタルの岩山と対岸アフリカのセウタにあるアビラ山で、その“柱”はスペイン国旗にも描かれています。
“ジブラルタル”は、地中海文化圏を包み込むかのように鋭角的に突き出したヨーロッパ南端の岬です。地中海と大西洋、そして、わずか14キロメートルでアフリカ大陸のモロッコと対峙するヨーロッパとアフリカの接点であることから、地理的・戦略的に常に重要な拠点であり、スペイン史上因縁の地でもあります。
西暦711年、この場所からアラブ人(イスラム教徒)が進入し、彼らはその後8世紀間イベリア半島に居座ります。イスラム教徒に占領された土地をキリスト教徒の地に回復する奪還戦争が“レコンキスタ”で、その完了は1492年です。“カトリック両王”と呼ばれたアラゴンのフェルナンド王とカスティーリヤのイサベル女王が時の王です。
ちなみにこの年は、コロンブスが新大陸を発見した年でもあります。コロンブスのパトロンだったのがこのイサベル女王。(大バクチの航海費用を出しました。)つまり1492年は、レコンキスタが成し遂げられた年であると同時に、新大陸発見によりその後莫大な富が流入することになる、スペイン史上まさに歴史的な年です。そのマジックナンバーからちょうど500年後の1992年、アンダルシア地方のセビリヤで「万国博覧会」、カタルーニヤ地方のバルセロナで「オリンピック」と、国際的メガイベントがこの地で開催されたことはご存じの通りです。
ジブラルタルは最初“Calpe”と呼ばれていました。紀元前10世紀にこの地にやってきたフェニキア人の“kalph”(“洞窟”の意、聖ミカエル洞窟にちなむ)がその由来です。現在の地名である“Gibraltar”は、この岬に鎮座する岩山“ターリクの山(Jebel
Tarik) ”がなまったものです。“ターリク”とは、イベリア半島に進入したアラブ人の首長“ターリク・イブン・サイード(Tarik
ibn Zeyad)”です。
さて、ジブラルタルの人口は3万人、最も広いところで東西1.4キロメートル、南北4.5キロメートル、面積は5.8平方キロメートル(現在の関西国際空港が5.1平方キロメートル)です。
1713年のスペイン継承戦争後の「ユトレヒト条約」以来イギリス領であり、岬の付け根にあたるところにスペインとイギリスの国境があります。かわいらしい図柄のスタンプをもらって入国すると、車両は大陸と異なり左側通行、街中にはクイーンエリザベス2世のマークの付いた赤い郵便ポストやイギリス風のパブが点在します。ジブラルタルの公用語は英語、通貨はポンドです。(写真の街の装飾はクリスマス用です。)
ジブラルタル随一の観光スポットは、地名の由来となった425メートルの岩山です。 山頂の展望台へはケーブルカーで上ることができ、そこからは、スペインの海岸線はもちろん、うっすらと連なるアフリカの山並みを眺めることができます。地中海を舞台に登場しては去っていった様々な民族に思いを馳せ、しばし時空の旅を楽しむのにはうってつけの場所です。 |
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