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第3回 2003.9.1
地中海の十字路“マルタ共和国”(“REPUBBLIKA TA'MALTA”)
─ 謎の巨石遺跡を残す騎士団ゆかりの島 ─
 3つの有人島と3つの無人島からなり、全島合わせても淡路島(592平方キロメートル)の半分ほど、そしてそのような小国であるにも関わらず、実に様々な民族の足跡を残すのが、地中海に浮かぶ“マルタ共和国” (316平方キロメートル) です。地中海の中央に位置すること、深い入り江と理想的な水深をもつ自然の良港に恵まれていたことが、その理由です。ちなみに総人口は、有人3島の“マルタ”“ゴゾ”“コミノ”で40万人弱です。

  “観光業”は、1980年代以降、マルタの主要産業となっています。年間、人口の3倍もの観光客を引きつける魅力は、マルタの人々の明るい気質と地中海そのものの風光、そして皮肉なことに、この地に侵略した多様な民族の“置きみやげ”にあります。
さて、どのような民族がこの地を通過していったのでしょうか。(以下はサッと読み流して下さいね。)
フェニキア(紀元前1000年頃から)、ギリシャ、カルタゴ、ローマ(紀元前218年第2次ポエニ戦争以降)、(ローマが分裂し西ローマ滅亡後は)ビザンチン。そして、この地に大いに影響を残したアラブ(紀元後870年から1090年)。後にノルマン、以降シチリア王国の領土としてフランス系、スペイン系王家の統治下に入り、1530年、時の支配者であったスペイン王カルロス1世(アラゴン家、神聖ローマ帝国皇帝としてはカール5世、同一人物)により“ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)”の封土として与えられ、現在の姿となります。一時、ナポレオンの進入によりフランス領となり、わずかの後にはイギリス領となりますが、1964年に“マルタ共和国”として独立を果たしました。

 首都“ヴァレッタ”は、16世紀後半、騎士団の時代に、異教徒の攻撃に備えて築かれた城塞都市です。街路が碁盤の目にはしり、聖ヨハネ大聖堂、聖ヨハネ病院、騎士団長や分団の館などが置かれています。大聖堂礼拝堂では、光と陰の画家と呼ばれる“カラヴァッジョ”の「聖ヨハネの斬首」などの傑作を見ることができます。
 中世期に首都として栄えた“ムディナ”は、マルタ島のほぼ中央の高台に位置しています。城壁に囲まれ、“無言の町”という別名通り、落ち着いた静けさの中に歴史の重みを感じさせる古都です。
 また、マルタには、紀元前5000年から2500年頃に建設されたと思われる“巨石文化遺跡”が数十も点在しています。神殿と考えられていますが、一体、誰がどのような方法で建造したのか、今も謎に包まれています。
 ヴァレッタの街並みと巨石神殿群は、ユネスコの世界遺産にも指定されています。
美しい海岸線、石灰質の地質と太陽光によって生み出される“青の洞窟”など、地中海ならではの風光明媚も見逃せません。
 マルタらしいみやげ品といえば、フィリグリーと呼ばれる金銀線細工、ボビンレース、セラミックや吹きガラスなどの伝統工芸品があります。地中海の他の島々と同様、慢性的な水不足で必ずしも農業に適した土地ではありませんが、穀物や果物が栽培され、ワインやリキュールなども生産されています。そして小国ならではの記念切手が、ここでも外貨取得に一役かっています。

 最近、マルタに滞在する日本人の語学留学者が増えているそうです。長らくイギリス領であって現在も英連邦に属することから、日常的に英語が話されていること、イギリスよりも気候が良くて物価が安いことなどから、英語を習いたい外国人に人気なのだそうです。ちなみに、この国の公用語は、マルタ語と英語であり、地理的・歴史的条件によりイタリア語も広く使われています。
 残念ながら、日本からマルタへの直行便はありませんが、マルタ航空と欧州系航空会社の定期便が首都ヴァレッタとヨーロッパ主要都市を結んでおり、イタリアからは複数の航路もあります。

 ところで、マルタを去った騎士団は、現在、イタリアのローマにその本部を置いています。マルタ十字の刺繍が入った誇り高い黒マント姿を、ローマの街角で見かけたことはありませんか?
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